多趣味野郎のススメ

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西の魔女が死んだ。私たちはどう死のう。

梨木香歩の『西の魔女が死んだ』を読了しました。

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西の魔女が死んだ」表紙

内容を簡単に説明すると、登校拒否になった女子中学生が山の中で暮らすイギリス人の祖母の家でしばらく生活するというもの。

私は、こういう雰囲気の作品がとても好きです。情景描写が丁寧で、その瞬間にまるで自分もその場にいるような気分になることができます。

さて、この作品の主人公であるまいは、祖母が魔女であることを告げられ、「魔女修行」を始めます。基本的には、小学校で言われるような「きそくただしいせいかつ」を守ることから始まり、まいは少しがっかりします。しかし、まいはできる限りおばあちゃんのいう通りに魔女修行に励みます。

そのなかで、死とはどういうものなのか、魂とは、身体とは……という内容に入っていきます。簡潔に言ってしまば、死とは「身体からの魂の解放である」という結論にこの作品中ではなっています。

魂の解放などと言ってしまうと、なんだかカルト的な響きを持ってしまいますが、作品を読み進める中ではとても自然な形で自分の中に受け入れることができるはずです。

では、タイトルにある「どう死ぬか」とはどういう意味なのかということですが、私はこれすなわち「どう生きるか」という問いと同じになると考えています。

人に限らず生命は生まれた瞬間から、必ず死が約束されています。ここでいう「どう死ぬか」とは、単なる死因の話では無く、周りの人からどう思われて死ぬかという意味です。

死後どう思われるかは、一重に生前の立ち振る舞いによるものです。誰だって、死後「あいつは本当に嫌な奴だった。死んで清々した。」とは思われたくないはずです。

つまり、死後どう思われたいかと考えることは、どう生きるかと考えることだとも言えるわけです。

偉大な人だったと思われたいのなら、それに見合った立ち振る舞いを、面白い人だったと思われたいのなら、それに合った立ち振る舞いを。

そうしていくことで、自分の身の回りにきっと変化が起きるのではないかと、この小説を読んで思いました。

 

しかし、他人の評価にばかり依存していてはいけないとも考えます。

大事なのはその時々によって変化してしまう他人からの評価では無く、自分が「こう思われたい」と願う気持ちではないでしょうか。

一見矛盾しているように思われるかもしれませんが、この二つは全く別物です。

自分が思い描くことは、他人の影響を受けません。しかし、他人からの言葉はその時々によってコロコロと変わるものなので、そのようなものに振り回されることはとても疲れますし、深い意味もそこにはありません。

 

久しぶりに気持ちの良い読書ができたので、是非読んでみてください。

では、さようなら。